那須雪崩事故のまとめと教訓-1B2018-03-02


1班のルート
       [図:1班の登ったルート]

■快晴
《那須雪崩事故の経過(続き)》
 さて、1班14人は横一列になりラッセルしながら、第2ゲレンデ中間部の「一本木」まで進みました。そこから縦一列に変わって樹林帯の斜面を登りました。2年生6人が先で、1年生6人が続き、大田原高校の教員W(雪山初級者)、教員Kがラストでした。
 斜面を登り尾根へ出た所(②)で、生徒の1人が足がつりそうになったので、教員Kは休憩を指示しました。休憩後10分ほど登って樹林帯を抜け(③)、さらに5分ほど進むと平らになり木が数本生えていました(④)。
 1班がこの付近まで来ていた時、さらに上へ向かうのを止めるチャンスが1度だけありました。このとき、2班(9人)は1班の右隣の尾根付近を登って、1班に近い位置まで出て来ていました。教員Kは声の届くぐらい近くに教員Oを見ており、年配者である教員Oに相談して、その後の行動を決めることができました。しかし教員Kはそうしませんでした。
「教員Oに連絡しようと思ったが、教員Oが2人の生徒の名前を大声て叫んでいたため、無線連絡をしなかった」
「そんなに離れていないところを上がっていたので、この場所を経験している教員Oがこちらに気が付いており、もし危険であれば止めてくれるだろうという認識もあった」
 教員Kはそう証言しています。
 1班はなぜ危険な斜面を登り続けてしまったのでしょうか?
 教員Kは、④以降の生徒とのやりとりを証言しています。
K「ここ(④)までにしよう」
生徒(前方のメンバー)「もう少しだけ進みたい」
 5分ほど進み、やや急になる手前(⑤)まで来ました。
K「この先は少し急になるし、滑落の危険があるので戻ろう」
生徒(前方のメンバー)「岩まで行きたい」
 前方のメンバーの間では、岩まで行ったほうが風が防げるという話が出ていました。大田原高2年の生徒たちは冬山、春山の経験もあり、自分たちで判断できる部分もあったのでしょう。真岡高の教員Kは、大田原高の生徒たちを把握しづらかったかもしれません。
 いずれにしても、教員K、教員O、1班・2班の生徒たちすべてが、この時点で雪崩の警戒を全くしていませんでした。

雪崩発生の図
       [図:雪崩発生時の状況]

 その数分後、雪崩が発生しました。複数の生徒によると「7~8m前方、2時くらいの方向(右斜め前)から横に長く大きな亀裂ができて、立っている場所の面全体がずれるような感じで流された」と言っています。
 1班が樹林限界(③)に出てから、雪崩発生までわずか10数分後でした。
 この時、2班は1班の登ってきた踏み跡の方向へトラバース(横断)気味に下っていて、最後尾に付いていた教員Oは、下り始めてすぐ後方から雪崩に巻き込まれました。
 3班(12人)と4班(13人)は1班と同じルートを登ってきていて、③付近で雪崩に巻き込まれました。
 5班(女子7人)は第1~第2ゲレンデ間を移動していて、上部には登らなかったので、雪崩とは無関係でした。
 雪崩は1班全員を呑み込んだ主流と、右隣り(北側)の沢との2つに分かれて流下しました。1班の生徒・教員は主流路が左へ屈曲する②~③中間付近でおよそ15×30mの範囲に埋没し、特に下流部の10×10mの範囲に9人が固まっていました。2~4班の教員たちによっておおむね上流位置から救出されていきましたが、ショベルが少なかったため掘り出すのは大変な作業でした。3人ほどは救助隊が到着するまで発見できませんでした。先に救助された1班の生徒で、救助活動に加わった者もいました。

※遭難事故の結果
 1~4班の講師・生徒全員が医療機関へ搬送されました。
 1班の生徒7人、引率教員1人が死亡しました。
 重症者の傷病名は、低体温、腹腔内出血、気胸疑い、脊髄損傷疑いなどでした。
  心肺停止 重症 中等症 軽症
1班         8              3            1            2
2班                         1            2            6
3班                                                   12
4班                                                   13
計           8              4            3          33