那須雪崩事故のまとめと教訓-1A2018-03-01

■快晴
 2月27日(火)に、日本山岳文化学会遭難分科会の催しとして、「那須雪崩事故のまとめと教訓」について、40人ほどかたの前でお話ししました。しかし、準備不足もあって、昨年10月に公表された那須雪崩事故検証委員会の報告書(以下「報告書」と言います)の内容を確認したところで時間切れになってしまいました。
 ここでは、本来お話ししたかった内容を補いつつ、何回かに分けて掲載します。
 1. 「報告書」による那須雪崩事故の経過
 2. 「報告書」で問題提起されたこと
 3. 那須雪崩事故発生に至る気象状況
 4. 雪崩の発生状況と予測
 5. 「報告書」公表以後の動向

全体図
       [図:那須雪崩事故全体図]

《那須雪崩事故の経過》
 2017年3月27日(月曜日)8:43ごろ、那須・茶臼岳から南東にのびる支稜の標高1500m付近斜面(推定)から雪崩が発生し、下部で春山技術講習を行っていた高校生、講師、引率教員らが巻き込まれました。雪崩に埋没した生徒・教員のうち、男子生徒7人、男性教員1人が搬送先の病院で死亡が確認され、ほかに計40人が重軽傷を負う惨事になりました。
 春山講習会は栃木県高体連が主催し、登山専門部が主管(実施)しているものでした。高校登山部の生徒・顧問に雪山登山技術を教える内容で、2泊3日の日程で、第2日に71人、第3日に62人が参加していました。最終日の第3日に事故が発生しました。
 講習内容は第1日に学科(講義、講話)とテント設営、第2日は5班に分かれて終日雪山登山技術の実技講習を行いました。第3日は峰の茶屋経由で茶臼岳を目指す予定でしたが、夜半から雪が降り始めて朝まで続いたため、予定を変更してスキー場周辺での「ラッセル訓練」をすることに決めました。
 「ラッセル」とは、降り積もった新雪をかき分けながら進むことです。3月下旬の大雪は那須としては異例でしたが、それを利用してラッセルをすることも、雪山入門者の生徒・教員たちには有意義な経験になることだったでしょう。
 当日は早朝の計画変更から始まりました。5時に起床して朝食をすませた生徒たちのテントに、待機するように指示が伝えられました。リーダー格の3人の教員(K、O、G)が協議して、予定していた登山をとりやめ「ラッセル訓練」へと変更しました。つまり、計画変更はあらかじめ用意されていたのではなくて、早朝の短い時間の中で、ほぼ3人の教員のみによって決められた事でした。
 7:30ごろ、全講師がスキー場センターハウス前に集合し、(1)ラッセル訓練への変更、(2)8時前出発―9時半に戻り―10時テント撤収、(3)天候は雪、(4)第2ゲレンデ上部の危険なエリアには立ち入らない、以上を教員Kが伝え、説明しました。
 8時前に各班が行動開始しました。ここから重要なのは1班(大田原高校、講師=教員K)と2班(真岡高校、講師=教員O)の行動です。KとOは真岡高校の教員で、各講師や引率教員の中で雪山経験が特に深いベテランだったと思われます。その他の教員の登山歴を見ると雪山経験は初級レベルにとどまっています。講習会本部の教員Gは登山専門部の委員長ですが、雪山経験は日光白根山しか挙がっていないので、やはり初級レベルと思われます。つまり、第3日の講習を主導できるスタッフはK、Oの2人だったと推測できます。(続く)

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